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SEEDのなまけもの事務員が「美容ブログ」というお題と戦っているブログです♪


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本日は小豆を粉砕して小豆の洗顔粉を一からつくってみました。
前回まで化粧品の歴史についていくつか調べてたのですが、調べると「昔の化粧品ってどんなのかな~」ときになっちゃいましてスーパーにいって小豆を買ってきました。

小豆(しかも高級品とパッケージには書いてあります):250g 198円
今回は半分の125g使用しての実験です。

①まず袋を開け天日干しにするのですがめんどくさいのでフライパンでいります
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②つぎに臼などで小豆を粉砕します。
臼は家にありません。すり鉢ですろうとしたら小豆が固すぎて粉砕できません。
なのでミルミキサーで粉砕してみました。文明の力ってすばらしい。
この実験夜間にやるのはおすすめしません。ミルミキサー使用中、小豆がミルミキサーの容器に勢いよく当たってものすっごい騒音をだしてくれます。
粉砕したものは湿気が来ると悪くなりそうなので瓶詰めにしておきます。
瓶詰め作業中小豆からきなこのような香りがします。
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③これで小豆の洗顔粉は完成です。

④せっかく作ったので使ってみましょう!!
まず左手に口紅でハートを書きます。

⑤洗顔粉を水でしめらせます。
8.jpg9.jpg

⑥ハートの上に小豆の洗顔粉をのせく~るくる洗います。
うっ!もう少し粉砕しとくべきでした。とっても洗いスクラブのようです。
泡などは残念ながらでてこないのですがヌメヌメします。
10.jpg11.jpg12.jpg

⑦水で洗い流せば終了。完全に落ちたわけではないですがほぼおちました。
13.jpg

125g分の小豆で作ったのですがかなりの量があります。
さてどうやって使い切ろうかな。とりあえずもう一度粉砕して微小の粉にしないことには顔には使えないかなと思いました。

みなさんもお暇なときに作ってみてはいかがでしょうか?
実験に使わなかった残りはお赤飯とかぜんざいとかにどうぞ~。

江戸時代後期あたりを調べてみました。
TVで「大奥」の再放送がありちょうど江戸時代後期をやっていたのでこの時代の化粧きになってたんですよね。

口紅は文化文政(1804年~1829年)ごろは唇を青く光らせるのが流行でした。
現代に唇を青くしたら「血色わるっ!」で終わってしまいそうです。
口紅は日本人の唇の厚さをカバーし上品にまたは可憐に見せるための工夫として始まりました。

まず、唇全体を顔と一緒に白くぬり、そして唇の部分だけを白粉を軽く落とします。
その上に唇の縁より内側に小さめに紅をつけます。
そのとき唇の奥の方に墨を薄くぬってから紅をつけると玉虫色に光って見えます。
これを艶紅化粧とか笹紅色とよばれていたそうです。

えーー!唇に墨ぬってたの?江戸時代の口紅の色は赤と黒をうまくつかったぬり方だったんですね。

江戸時代末期には、この笹色紅から薄淡色になりました。
化粧は、江戸では薄化粧が好まれ、上方(関西)は濃艶な化粧になる傾向がありました。

化粧水は自家製の糸瓜水や果物の皮などを用い、冬の肌荒れ止めは酒やゆず汁・蕪を焼いて酒に浸したもの、ひび、あかぎれには烏瓜の果肉を塗り、また烏瓜の根からの殿粉を天花粉といい、あせもやただれに塗布しました。

天花粉<ベビーパウダー>は昔のブログのベビーパウダーシリーズ(「3つの名前の正体は」等)でさんざん遊びましたが、このころから天花粉があったんですね。天花粉は非常に使えるアイテムの1つだと思います。
戦国時代が落ち着いて文化が咲き誇った安土桃山時代。
いろんなものが派手な時代だったようです。
女性はよりいっそう美しく見せるため肩と裾に模様を目立たせたり、髪を上げてその美しさを誇示したそうです。なるほどぉー。じゃぁ現代のポニーテールもそんな考え方でいいのかな??

この時代スペインの石鹸工業が盛んでした。
なので献上品としてこの時代に石鹸(シャボン)が偉い人に献上されたのではないかと推測されるそうです。
ついでに「石鹸」という文字が登場したのは慶長11年(1606年)2代将軍秀忠の時代です。

小豆の洗粉や小ぬかのヌカ袋が使われだしたのはこの時代。
現代にもありますよねこれ。
安土桃山時代からあるのですからかなりのロングセラー商品だなと思います。

洗髪料(粉)はうどん粉を溶かしたもの、また粘土や白土、火山灰、茶などだったそうです。
わぁーい。美容実験のネタになりそうな情報発見。
実験するとして、うどん粉って小麦粉ですよね?小麦粉で髪洗ったら髪に小麦粉のダマがつかないか心配です。粘土や白土、火山灰どっから仕入れてこようかな。お茶は髪に良さそうです。
気が向いたら安土桃山時代風に髪を洗ってみたいと思います。
今回は鎌倉時代と室町時代の美容関係について調べてみました。

鎌倉時代は戦いの時代ですね。
戦で敵に首を取られても見苦しくないようにという理由で身だしなみを整えたそうです
髪は短めになり、いつもは元結をかけ丁子油で手入れをしたそうです。

「丁子油って何?」と思ったので調べてみました。

<丁子油=クローブという香辛料の精油。日本刀のさび止めにも用いられた。>

・・・日本刀のさび止めってところが戦国時代だなと思いました。
眉は自然な眉に近づき、一文字眉になったそうです。
まろ眉は戦闘にはやっぱり不向きだったよう。
命がけの戦闘中に汗や高貴さを気にした眉なんてできないですよね。

室町時代は乱世の崩れた秩序を回復しようと礼儀作法など盛んになった時代です。
能楽など「わび」・「さび」が生まれたのがこの時代です。
この時代は眉1本まで化粧方法が規定されていました。
男性は横眉・女性は茫々眉・少年は八文字眉などなど。

おぉー。この時代の眉は楽でいいですねみんなが茫々眉ならどうどうと眉ととのえず外にでれる!!調べてみて思うのですが美容にはその時代時代の政治や社会が強く反映しているなと強く感じました。
おひさしぶりです。
みなさん、平安時代の化粧がなぜ白塗りであの眉だったかご存知でしたか?辞典のように分厚い「化粧品学」の本を読んでいたのですがその中に化粧品の歴史がのってました。

①なぜ、顔を真っ白に塗りたくるのか?
平安貴族の住居は大きく、軒下も長いため光が室内に入りにくい作りになってたそうです。屋内での生活が多く宮仕えは夕刻からであったから、薄明の中で暮らしていたといえます。顔を白くすることで薄暗い室内でも顔を映えさせるために白粉を塗って顔を白くしたそうです。


なるほどぉ。それであんなに真っ白なんだとこの本見て思いました。
白くしている理由なんてこの本みるまで考えもしなかったなー。
電気があり夜でも明るい現在でも白い肌が流行してますが、「肌はしろいほうがいい!!」という考え方だけで肌白が流行してるような・・・・。他にも理由があるのかな?考えさせられる内容でした。

<平安時代の供御の白粉の材料>
もち米1石5斗・粟1石 <「延喜式」(927年)より>

7/30追記 *単位説明*
1石=1人が1年間に食べるお米の量ぐらい。約150kg<時代によって多少量が前後します。>
10斗で1石の単位になります。
業務用で作ってた単位だったんですね。調べてその量にびっくりです。


・・・・もち米と粟ぬりたくってたんですね。
でも、米のとき汁は肌に良いですし、肌白くなるし・・・。
平安時代の人は肌に良い化粧品を使ってますね。

②平安時代の人はなぜあんな眉の形なのか?
1・眉を額の上部の方に描くので瞼が広がりを持ち高貴で夢幻的な感じになる。
2・両端をぼかした眉は、眉頭が離れて見えて優雅なイメージとなる。
3・眉は額からの汗の流れを止める。額に汗は庶民。故に高貴の証に眉を取り除いた。


この時代に眉を取り除く勇気がありません。庶民なので額に汗してがんばります。
しかし眉はありますが汗が流れ落ちてきます。
私はどんだけ庶民なんだと、ちょっとむなしくなりました。

化粧品に歴史あり。
平安時代の人はいろいろ考えてますね。
眉を真似するのは難しいと思いますが、家の中で平安時代メイクをして遊んでみるのはいかがでしょ。白粉の材料はもち米と粟なので手に入れようと思えば簡単に手に入りますよ。たぶん作り方は石臼とかですりつぶすだけだと思います。私の家には石臼はないから実験できないのが非常に残念。
やられたかたがいたら是非結果を教えてください。



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